昔の写真

やまさぁーべの倉庫の中には、ここが学校だった頃の写真がいろいろ残されています。その中に、今まで見た中で一番古そうな写真が出てきたのでそのご紹介です。


やまさぁーべの前身は、七軒西小学校という小学校ですが、何度か名前が変わっています。創立は明治9年でお寺の境内に建てられた柳川学校という名前でスタートします。今日見つかった写真は、それから60年ほど経った、おそらく昭和初期の写真です。非常に読みにくいですが、実物の写真では上の看板に昭和五年と書かれているように見えます。


そして、年代は分からないのですが、同じか、それより少し前に撮られたのであろう写真。左の旗には柳川尋常小学校とあります。右の旗には「柳川学校金蘭会」と書いてあるように見えます。この金蘭会が何なのか、地元の90歳を超えるおじいちゃんに聞いてみましたが、自分が入学するより前の写真だから分からないとのこと。うーん。また調べてみよう。

それにしても、こんなに子どもが多かったのか!と驚かされます。昭和5年の国勢調査では、七軒地区の住民は3302人。その後、昭和25年の3828人をピークに減少し始めます。おじいちゃんのお話では、古くは青苧の栽培、写真の頃は養蚕、そして営林所ができてからは移住者が増えて人口がどんどん増えていたとのこと。その頃の学校に通っていた子どもの数は350人ぐらいいたそうです。ちなみに学校が休校になった平成13年の子どもの数は7人。平成22年時点の国勢調査で七軒地区の人口は378まで減少し、現在はもう少し減っているでしょう。地区内の小学生は0人です。


これは今日撮った写真。やまさぁーべの南側に見える山(写真左)と、体育館裏の駐車場(写真右)です。今日紹介した約90年ほど前、写真左の山に緑色に見えるスギ林はカイコのエサを作る桑畑だったそうです。写真右の駐車場の位置には、お家が2~3軒立っていて、その後ろは棚田だったそうです。今からでは信じられませんが、確かにスギの植わっている場所の地形を見ると、段々になっているのです。時代の流れはすごいものです。青苧、養蚕、林業ときて、次は…エコツーリズムでしょう!!町おこし、頑張らねば。