水郷大江夏まつり灯ろう流し花火大会

今日は大江の花火大会。実は今年はやまさぁーべも出店を出展しました!

やまさぁーべの畑で育てた無農薬の野菜たち。たくさん採れたので、それを豚バラ肉と一緒に串に刺してBBQ串として販売しました。初めての試みでドキドキしましたが、ありがたいことに、屋台の前にはたくさんのお客様が!

やまさぁーべにご宿泊のお客様も花火会場へ。BBQ串も買っていただきました!ありがとうございます!

花火も綺麗だった~♪ 売り子が忙しくてメイン会場まではいけませんでしたが、屋台の上に上がる花火がバッチリ見えました。


ライター:佐々木

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コメント: 1
  • #1

    山夫子 (木曜日, 17 8月 2017 22:53)

    『おれたち米問屋はな、小作の衆が汗水たらして米作ってくれるおかげで、店も保てるんだからな。
    決して忘れてはなんねぞ』
    橋田壽賀子の名作「おしん」の奉公先、酒田の米問屋加賀屋の女主人長岡輝子扮する「くに」の台詞です。

    水郷左沢。今年も川開きが盛大に開催されました。子どもの頃は指折り数えて楽しみにしていたものです。
    今も昔も左沢はひとり左沢だけで成り立っているわけではありません。周辺に点在する多くの在郷が商都左沢を支えています。
    かつて七軒は稲作、炭、繭の基本型に加え木材、たばこ、青麻、漆、蝋、綿羊、木灰などを盛んに生産していました。そして、その商いの恩恵は最上川舟運に恵まれる左沢の商人が享受していました。
    それだけではありません。昔の大福帳を見るとこれら産物の収入はふたたび物資購入のため同じ左沢の商店に支払われていたことがわかります。
    二重の利益を得ることのできた左沢は盛隆を極めました。七軒あればこその左沢であったわけです。
    また忘れてならないのが人材の輩出です。おしんは数えの七歳で左沢の中川材木店に奉公に出されました。
    当時在郷の次三男坊や女子はみな町場に出て働きました。昭和30年代私の同級生たちはみな集団就職列車で都会に出て働き日本の高度成長をささえました。「材木と人材は山からでる」というのもうなずける話です。

    地方創生が叫ばれて久しく大江町も衰退を余儀なくされています。ある人は行政効率の悪い山間部は切り捨て町に出て住めば良い、といいます。
    しかし、本当にそれで良いのでしょうか。左沢のような町は一人左沢だけで発展することはできません。左沢を支える七軒のような在郷が衰退すれば町も衰退してしまいます。運命共同体の七軒がよみがえれば左沢もおのず昔日の繁栄をとりもどし大江町は蘇るのです。